
西教寺の正式名称は「天台真盛宗総本山 戒光山兼法勝西教寺」といいます。
その起源は古く、聖徳太子が恩師である高麗の僧、慧慈・慧聡のために創建したと伝えられています。
その後、久しく荒廃していましたが、慈恵大師良源上人が復興、念仏の道場としました。

鎌倉時代の1325年(正中2年)には、恵鎮(円観)上人が入寺し、伝教大師最澄が生涯をかけて説いた「大乗円頓戒」を復興しました。
さらに約160年後の1486年(文明18年)、真盛上人が入寺されるに至り、荒れていた堂塔や教法を再興して不断念仏の道場とされました。これによって西教寺は全国に400余りの末寺を有する総本山へと発展しました。

宗祖である円戒国師・慈摂大師 真盛上人は、現在の三重県津市一志町大仰、伊勢国一志郡小倭荘大仰に出生した、紀貫之の一族にあたります。14歳で出家し、19歳で比叡山に登って慶秀和尚に師事しました。その後20年間にわたり山に籠もって修行を重ね、天台宗の学問を深く究められました。

当時は応仁・文明の乱による下剋上が続く時代。真盛上人は深い思索を重ね、教えを説く立場としての道を模索されました。1482年(文明14年)、比叡山の黒谷・青龍寺に入り、日課として六万遍の念仏を唱える修行に励まれました。その中で、社会の秩序を正し、人々に安らぎを与えるには、道義を重んじる「円戒」と、阿弥陀仏の本願による「念仏」こそが大切であると悟られたのです。

1486年(文明18年)、上人は西教寺に入られ、朝廷・公家・武士から庶民にいたるまで、広く戒律と念仏を説きました。こうして西教寺は、「戒」と「念仏」を実践する不断念仏の根本道場となりました。その教えは近江・越前・伊賀・伊勢を中心に広がり、多くの民衆の信仰を集めるようになりました。
真盛上人は室町時代の1495年(明応4年)、伊賀の西蓮寺で病に倒れ、「無欲清浄専勤念仏(専ら念仏に励むこと)」を遺誡として、53歳で入滅されました。