明智光秀と西教寺
明智光秀との繋がり

戦国時代から安土桃山時代にかけての武将である明智光秀と西教寺は深い繋がりがあります。 1571年(元亀2年)、織田信長の比叡山焼き討ちの際に災禍を被った西教寺。 その直後に築かれた、坂本城の城主となったのが明智光秀でした。 光秀は西教寺の檀徒となり、復興に大きく力を注ぎました。 当寺の総門は坂本城城門を移築したもので、鐘楼堂の鐘は陣鐘です。 1582年(天正10年)にこの世を去った光秀は6年前に亡くなった内室熙子や一族の墓とともに祠られています。
西教寺に残る
明智光秀の面影

総門
比叡山焼き討ちで災禍を被った西教寺。その復興に貢献したのが明智光秀です。光秀は焼き討ち直後に坂本城の城主となり、西教寺の檀徒に。この総門は坂本城城門を移築したものです。

梵鐘
本堂横の鐘楼に吊り下げられていた、鋳造製の鐘。 寺伝では坂本城の陣鐘であったと伝える、無銘ながら数少ない、平安時代の梵鐘の貴重な遺例です。

妻・熙子の墓
明智光秀は家臣や領民には慈悲深かく愛妻家であったと知られています。西教寺には光秀の妻・熙子のお墓や、家臣のお墓が残されています。

明智光秀公資料室
西教寺と明智光秀にまつわる資料を展示しています。光秀直筆の寄進状をはじめ、湖を渡った時の鞍など、光秀ゆかりの寺宝を公開しています。
明智光秀公追善法要
明智光秀公顕正会フォーラム

明智光秀公の命日とされる6月14日に実施されている追善法要。法要の後には、学びのあるフォーラム等が行われます。